父の死を知らされた良寛さまは16年ぶりに故郷へ戻ります。しかし弟が家督を継いだ生家はすでに没落寸前。良寛さまは家に入ることなく、そこを立ち去ったのです…。
いにしえに 変らぬものは 荒磯海と 向かいに見ゆる 佐渡の島なり
故郷に父も母もいなくなり町の面影もなく、旧友の多くももうこの町にはいなかったそうです。
上の詩の通り、生家跡から日本海が見えました。冬の日本海。唸るような海の音。低く立ちこめる空の雲。どんなに寂しかっただろうと思うと、せつなくなってしまうワタシでした。
少年父を捨て 他国にはしる
辛苦虎描いて 猫にも成らず
ただ これ 従来の栄蔵生
「父を捨て修行の道に入り遠くへいったのに、虎どころか猫にもなれなかった。ただここには元のままの子供の栄蔵がいるだけではないか」
良寛さまのお父さんへの思いと後悔が込められた苦しい詩です。
その後、良寛さまはどこの寺にも属さず10年間住まいを転々として托鉢の日々を送っていたそうです。
そして48歳になった良寛さまは小さな庵にひっそりと暮らしはじめました。それが町を見下ろす国上山にある国上寺の五合庵! 国上寺のご住職に案内して頂き、私たちも五合庵を訪れました。当時のままに残された五合庵は本当に質素で、小さな庵でした。
ここで一人で暮らされたのかと思うと、寂しくなかったのかな?などと色々な思いが湧いてきます。ここでの良寛さまの生活はどんなだったかをご住職に訪ねると、
着るものは一着、物はほとんど持たず、顔を洗うのも足を洗うのも、ご飯を食べるのもすべて一つの鉢でまかない、托鉢の日々を送ることによって、僅かな米や食べ物を手に入れていたんだそうです。
しかしここの冬の寒さは半端じゃなく、雪も何メートルも積もる程! それでも良寛さまは自然の美しさをたくさんの詩に読んでいて、その多くはこの五合庵で生まれたものだそうです。そしてこの五合庵に暮らすうち、良寛さまは何かが変っていったといいます。
五合庵に移って間も無く良寛様は仙桂和尚についてこのように言っていたそうです。「あのころの私には仙桂さんの悟りがわからなかった。畑をつくる事がどんなに大事なことか。説教などしなかったけれど、近所の子供たちに作物を分け与えるように、皆に教義を与え続けていたのだ。あなたは真の道者だった…」
若い頃はわからなかった「悟り」がこの頃良寛さまにははっきりとわかったのかもしれません。今回良寛さまの人生を振り返り、ゆかりの土地土地を巡ってみて、
たくさんの温かくおちゃめなエピソードのある、私たちの知っている「優しい良寛さま」は若い時の辛さを乗り越えてきたからこそ!なのだという事がわかったような気がしました。
※お・ま・け※
しかし…12月後半の新潟はとっても寒かった〜! でも新潟には美味しいものがいっぱい♪ 良寛さまも歩いた寺泊には美味しいカニやウニやイクラが売られ、レストランではイクラ丼を頬張りました!うひゃひゃ。