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| 良寛さまの地元、新潟では良寛さまは今もみんなに慕われるヒーローだということは前にもお話した通り。なんと「良寛牛乳」という牛乳まで出ているのだ! 私たちは良寛牛乳さんの工場へとお邪魔しました! 工場内に入るには撮影隊の皆さんもこのようにしてキチンと白衣をつけなきゃいけないんですヨ。撮影後おいしい良寛牛乳をご馳走になって帰りました。 |
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| 良寛さまが生まれ育ったのは越後の国、出雲崎。ここで宝暦8年、代々名主と神官を兼ねた名家、橘家の総領息子として生まれた良寛さま(幼名は栄蔵さんというんだって)は子供の頃は内気な性格で、本好きだったので「昼行灯」などと呼ばれていたそうです。 |
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| 18歳になり、名主見習いになった良寛さまが見たのは賄賂が横行する政治の世界…。なんと罪人の処刑にも立ちあわなくてはならなかったのでした。 |
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| 心優しく繊細な良寛さまは耐えきれず、いきなり地元の光照寺へ駆け込んで剃髪してしまったそうだ…。その光照寺に私たち取材班もお邪魔することに。落ち着いた佇まいの品の良いお寺さんで「ごめんくださーい」と入ってゆくとご住職がちょうどお正月の準備で、おモチをついていらして、ナント私たちは嬉しいことにつきたてのおモチをご馳走になってしまった♪ |
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うふふラッキー!ご馳走さまでした〜♪
そしてそして良寛さま22歳の時、国仙和尚の誘いを受けて故郷を離れ、12年間岡山県の円通寺で「禅」を学ばれます。 |
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| 幼いころから本を読むのが好きで、本によって思考を深めようとしてきた当時の良寛さまには、座禅や作務に明け暮れる禅の修行はその意義が理解できないものだったのだ。この時、典座(修行僧の全ての食事を作り、そのための野菜を畑で作る仕事をする人)の役割をしていた兄弟子の仙桂和尚を出会います。 |
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| しかし経も読まず、参禅もしない仙桂和尚を良寛さまは尊敬できないでいました。12年後のある日、良寛さまは国仙和尚から修行終了の証である印可を与えられました。その時、国仙和尚は愛用の杖を差し出し、 |
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「愚の如くあるのはよいことだ。その前には仏の道が開けている。おまえにこの杖を授けよう。虚心に運をまかせれば、きっと誰かが認めてくれるだろう。この世の至るどこででも気に入った場所で昼寝を楽しむがよい」
と良寛さまにおっしゃったそうです。 |
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ここでクエスチョンです!
これは(1)一人前と認められた
(2)寺から破門された
(3)新たな道をすすめられた
の、どの意味だったでしょーか? |
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| (♪チャラチャラチャララララーン♪)なんちゃって。てへ。実は現在今の三つの説が上げられているのです。皆さんはどれだと思いますか? その後良寛さまは師の杖を手に円通寺を出て、高僧たちの知識をもとめる旅にでます。 |
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そして5年の月日がたちました。あちこちを旅する生活を送っていた良寛さまの元へ一通の手紙が届きます。どうやって場所を調べたか、故郷の家を継いだ弟の由之からのものでした。それは…なんと父、以南の京都の桂川での入水自殺を知らせるものだったのです…!
次回「良寛さまゆかりの土地土地その2」へつ・づ・く! |
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