日本中で今も愛されて続けている僧侶、良寛さん。
川幡さんがその魅力を掘り下げる前に、
その生涯を大まかに見てみましょう!
宝暦8
1758
12月 越後出雲崎(現在の新潟県三島郡出雲崎町)の名主、
山本以南の長男として生まれる。幼名は栄蔵
安永2
1773
元服し、山本新左衛門文孝(泰孝)と名のる。
安永4
1775
5月 名主見習となる。
7月 が、尼瀬の光照寺の和尚に相談、出家する。
安永8
1779
5月 光照寺を訪れた玉島の国仙和尚の徳を慕い円通寺へ。
良寛と名のる。
天明3
1783
母秀子、病没。49才。
天明6
1786
父以南隠居。弟由之庄屋となる。
寛政3
1791
師の国仙和尚が示寂(じじゃく=名僧の死)後、円通寺を出て、
諸国行脚の旅に出る。
寛政7
1795
7月25日 父以南、京都桂川に投身自殺。60才。
父の法要に参じ、各地を遊歴する。
寛政8
1796
越後に帰る。
寛政9
1797
国上寺中腹の五合庵に入る。以来約20年にわたって住む。
文化7
1810
11月、弟由之、家財取上げ、所払いの処分を受ける。
文化13
1816
冬、五合庵を去り、国上山麓の乙子神社境内の草庵に移る。
文政2
1819
8月24日、友人解良、病没。55才。東国の旅に出る。
文政3
1820
江戸から鶴岡、米沢、会津をめぐる。
貞心尼(俗名、奥村マス)剃髪。貞心尼はこの時まだ23才!
文政9
1826
乙子神社境内の草庵を出て、島村、木村家邸内の草庵に移る。
文政10
1827
秋、島村の草庵に来訪した貞心尼と初会。
天保1
1830
7月、老衰し痢病にかかる。12月25日、由之、貞心尼、看病に来る。
天保2
1831
1月6日、午後4時、良寛示寂。74歳。
天保4
1833
3月 和島村島崎の隆泉寺に良寛禅師の墓が建つ。